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内海哲也とは?(wiki)

出典: ウィキペディア(Wikipedia) 『内海哲也』より

内海 哲也(うつみ てつや、1982年4月29日 - )は京都府城陽市出身のプロ野球選手。読売ジャイアンツ所属の投手。

内海哲也の経歴

内海哲也の高校?社会人時代

敦賀気比高ではエースとして活躍し、本格派左腕として注目された。高校時代は、田中良平森大輔とともに「北陸三羽ガラス」と呼ばれた。高2秋(1999年)の北信越大会で優勝、明治神宮野球大会でも準優勝を飾り、翌年のセンバツ出場を確実としていたが、後に同校部員の仲澤忠厚が起こした不祥事が明るみとなり出場を辞退。高3夏の予選では県大会決勝で敗れ、甲子園出場は果たせなかった。当時は阪神のスカウトに「高校生では打てない」と評された大きなカーブが決め球で、MAX144km/hの速球とのコンビネーションで14個を超える奪三振率を誇り、「北陸のドクターK」の異名を取った。

2000年ドラフト会議オリックス・ブルーウェーブが1位指名したが、本人は祖父・五十雄が元巨人野手だったこともあり、ドラフト前から巨人以外の指名は拒否という姿勢を貫き、東京ガスに進んだ。社会人時代は香月良太、森大輔とともに「三羽ガラス」と呼ばれていた。

内海哲也のプロ入り後

2003年ドラフト会議にて自由獲得枠で巨人に入団。背番号は祖父と同じ26に決まった。

2004年

ルーキーイヤーは二軍で9勝を上げ、イースタン・リーグ最優秀防御率のタイトルを獲得。勝ち星こそつかなかったが、1軍初先発も経験した。

2005年

林昌範などと競い開幕ローテーションを勝ち取り、4月だけでプロ初勝利を含む3勝を上げるが、1軍では通用せず。防御率5点台、4勝9敗。勝敗は打線の援護に左右され、6月以降は1勝もできず。

2006年

開幕1軍入りを果たせなかったものの、4月に高橋尚成が負傷により戦線離脱したことで代役として昇格するとリリーフで結果を残し、そのまま先発に定着。スライダーを習得して飛躍の年となり、初完投勝利初完封勝利なども記録するなど、チームトップの12勝(13敗)をマークオールスターや日米野球にも出場した。リーグ3位の奪三振を記録したが、暴投が多く、リーグ最多の9暴投を記録したうえ、左打者に対する被打率が悪いという課題を残した。

2007年

上原浩治の出遅れで初めて開幕投手を務め、見事勝利をおさめる。その後も安定した活躍を続け、9月25日の対中日戦では自己最多の14勝目をマーク。また、セントラル・リーグ優勝を決めた10月2日の対ヤクルト戦の先発投手でもあった(マジックナンバー1で迎えたこの試合を任されるなど、彼への首脳陣の期待や信頼が伺える)。初タイトルとなる最多奪三振を獲得。

2008年

開幕投手は高橋に譲ったものの、ローテーションの軸として1年間活躍した。好投しながら勝ち星がつかない試合も多かったが、終盤に3連勝し12勝8敗でシーズンを終了している。試合中突然四球を連発するシーンが多く、四球68はセ・リーグワーストの記録である。尚、昨季4勝1敗と得意としていた中日戦も今季は0勝5敗と相性が悪く、クライマックスシリーズでも勝てなかった。日本シリーズ第3戦に続き第7戦先発。結果は6回3分の1を投げて1失点と好投したが、チームは2対3で逆転負けし西武ライオンズが日本一となった。

内海哲也のプレースタイル

球種はストレート、縦に割れるカーブチェンジアップスライダーシュートストレートの最高球速は148km。2008年シーズンは前述のわき腹を痛めた後遺症、ここ数年の投手不足とセス・グライシンガーの入団にあわせた中5日登板の負担も重なってか平均140km弱である。

投球テンポが早いことも特徴である。2007年7月27日の対広島戦では2時間11分で完封勝利を挙げた。

独特の投球フォームアストロ球団エース宇野球一に酷似している。

投球スタイルは高校時代から大きくトルネードしている。高校時代は全身を大きく撓らせ、モデルチェンジ投法気味の捻りを加えた、豪快かつしなやかなフォームだった。しかし余りにもフォームが大き過ぎるために盗塁され易いと、社会人時代に小さなフォームに矯正されている。また当時の球種はストレートと山なりのカーブくらいしかなかったため、社会人時代・プロ入り当初は伸び悩んだ。
プロ入り2年目、前監督堀内恒夫ローテーション起用されるも、1軍では通用せず。しかしこの年シーズンを通し小谷2軍投手コーチと再三の再調整・フォーム固めを行い、高橋一三二軍監督(当時)から現在の決め球のチェンジアップを伝授されたことが、現在の投球フォーム・投球スタイルを確立する下地となった。さらにシーズン終了後スライダーを習得、新たに就任した尾花投手総合コーチに微細な投球の指導を受け、ストレートの威力が150km/h近くまで増加、ようやくブレイクにつながった。

内海哲也のエピソード

2006年春季キャンプ中の2月14日、サンマリンスタジアム宮崎原辰徳監督近藤昭仁ヘッドコーチが、臨時コーチとして来訪している巨人OB会副会長広岡達朗、金田正一とベンチ前で談笑していた時、たまたま通り掛かった内海に対して原が「この人、誰か知っているか?」と尋ねると、内海は「はい。金村さんですか」と迷うことなく即答した。さらに、慌てた原が「何勝したんだ?」と聞くと「300何勝ですよね」と答えた。原は金田・広岡に対して「すいません。教育し直します」と平謝りし、金田自身も苦笑したが、広岡が激怒し「世代の違いで済まされる問題じゃない。歴史に対する不勉強にも程がある。過去に立派な人がいて巨人軍は発展してきた。先輩に対する敬意と理解を深めなければならない。君たちは素晴らしい球団に入った。彼らの功績があって今日がある。君たちには先輩からアドバイスを聞く権利があるし、先輩が後輩を指導するのは義務なんだ」と若手選手を叱責する事態となった(あまりの広岡の激高ぶりに、金田がルーキー辻内を「杉内」と言い間違えて事態を収拾させている)。

内海はこの一件について、練習後報道陣に対して「最初に名前を間違えた後、頭が真っ白になって…あとは何言ったのか、全然覚えてないんです」と答え、巨人軍OB名簿を入手して永久欠番選手の顔と名前などを学習したという。

同年2月21日、木の花ドームでの練習中に原がベンチ前で評論家杉下茂小松辰雄と談笑していた時、再びたまたま通り掛かった内海に対して「この方はどなただ?」と聞くが、2人の名前を答えられなかった。杉下は「知らなくても仕方ない。まあ、いいんじゃないの」と一笑に付したが、小松は「同じ北陸にいたのに(内海は京都府城陽市出身で、北陸にいたのは敦賀気比高校時代の3年間のみ。福井県でも敦賀市以南は近畿に分類されたりもする)名前も知らないのか。評論家の名鑑でも見せないといかんな」とお冠だった。

左のエースとして申し分ない成績を残しているが、尊敬している先輩の高橋尚成がいるからか、本人は一貫として「エースの自覚はない」と謙虚なコメントを言っている。

東京ガス時代の寮費は、巨人軍に負担してもらっていた。(高校時代の同級生の証言より)

グローブには「家族」と刺繍を入れている。あえて名前を入れずに、「家族」と入れたのは家族を守っていく、また家族からも支えてもらいたいと言う意味からで、家族には親も含まれているという。

2007年シーズン終了後グライシンガーの巨人入団について、あるイベントで内海は「補強するお金があるなら投手陣に回してほしい。僕ら3人(ローテーションを投げぬき2桁勝利を挙げた内海、高橋、木佐貫)は精一杯やったし、他のみんなもそう」と、球団の相次ぐ補強に物申した。こうした補強に対する反発・苦言とも取れる発言が公になることは全球団見回してももちろんほとんどない。この発言の後に内海は球団から厳重注意を受け、さらに公式サイトが予告もなしに閉鎖され、「球団批判に対する制裁行為」との批判がファンから上がっている。

登板時BGMカリートの『GO!GO!カリート』。

ペンも左手で書く。

内海哲也の年度別投手成績

年度 球団









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W
H
I
P




2004年 巨人 26 3 0 0 0 0 0 0 .000 60 14.0 14 1 4 0 13 0 0 8 8 1.29 5.14 8.36
2005年 26 0 0 0 4 9 0 .308 507 114.1 138 18 31 4 76 5 0 74 64 1.52 5.04 5.99
2006年 31 6 2 0 12 13 0 .480 795 194.0 163 13 52 7 179 9 0 69 60 1.14 2.78 8.30
2007年 28 2 1 0 14 7 0 .667 780 187.2 183 16 48 11 180 5 0 66 63 1.30 3.02 8.65
2008年 29 2 1 2 12 8 0 .600 772 184.1 166 7 68 7 154 3 0 71 56 1.31 2.73 7.53
通算成績 117 10 4 2 42 37 0 .532 2914 694.1 664 55 203 29 602 22 0 288 251 1.29 3.25 7.77

2008年シーズンまで

表中の太字はリーグ最高

内海哲也のタイトル・表彰・記録・その他

最多奪三振:1回(2007年)

最優秀JCB・MEP賞:1回(2007年)

オールスターゲーム出場:2回(2006年・2007年)

内海哲也の個人記録

初登板:2004年5月25日・対広島10回戦・サンマリンスタジアム宮崎

初勝利:2005年4月29日・対中日2回戦・東京ドーム

初完投勝利:2006年4月15日・対横浜5回戦・横浜スタジアム

初完封:2006年7月2日・対阪神9回戦・東京ドーム

内海哲也の背番号

26(2004年 - )